2014年 03月 18日
荻原守衛(おぎわらもりえ) ◆作者のことば ロダンは「生命は美である」といっている通り、唯の形そのままを写しただけでは美ではあるまい。必ずや、最も深酷なる観察を下して、その内部に充実している生気を十分に遺憾なく発揮したところに必ず美の観念が起こって来るものと思う。生命の十分に働いているところには、如何なるものにも美は自らにして備わり、自らにして認めらるべきものである。つまし自然界というものは、作られてあるものである。完全な形となって存在するものである。だから、我々もこの自然界以上の何物をも作ることは出来ない。唯自然界を写すに止まるもの、表すに止まるものである。(『碌山無名通信』所載「彫刻家の見たる美人」より) 女 1910年 ときわ湖水ホール ブロンズ 99x50x55 1963年宇部市連合婦人会寄贈 (2014.03.07撮影) ◆解説(田中幸人) 明治期の名作である。荻原守衛(号・碌山)は長野県穂高町の生まれ。親友の妻・相馬良との交友を得て芸術に開眼、2度の渡米、渡欧でロダンに深く感動、彫刻の道に入った。このブロンズ作品は、1908年に帰国して新宿にアトリエを構えた時代の作品で、文展で3等賞を得た。背面の荒っぽい作りに比して前面は、とくに上向きの表情には、愛への高い精神性が表現されている。 ※ときわ湖水ホールの完成に合わせて室内展示に切り替えられたが、約30年もの間、市役所前に置かれ宇部市民にとっては、その場所での思い出も多い。 ◆解説(田中幸人) ロダンに教えを受けた守衛は、高村光太郎、中原悌二郎、中村彝らと深い交友を交わす。この作品は、滞仏時代の作品として持ち帰り「文覚」とともに文展に出品されるが「文覚」の方は3等になるのに「抗夫」は落選の憂き目にあう。ロダンゆずりの激しい表現が審査員の高村光雲によって未完成とみられたからである。しかし、今日見ると、当時としてはぬきん出た彫刻感(量塊感、ムーブマン)をもっていたことがよくわかる。 ※ロープを引っ張る若いイタリア人をモデルに、筋肉美や緊張感あふれる抗夫を表現。深い顔の彫り、肩から首にかけての筋肉の盛り上がりが、地底深くで採掘する抗夫を見事なまでに再現している。明治40年につくられたものだが、時代を超えて輝きを放ちつづける。 設置にあたっては鋳型を所有する作者の故郷、長野県穂高町の碌山美術館が当初「鋳型が痛んでいるのでこれ以上、作品を抜きたくない」と難色を示していた。が、「炭鉱の町という歴史を持つ宇部の地にぜひシンボルとして残したい」との熱意にほだされ14点目の作品として蘇った。(「風の中の美術館」トーク・ウベ21より抜粋)
by ubeon
| 2014-03-18 20:41
| 宇部の彫刻
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