雨のせいじゃない

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2015年 07月 11日

一人てくてくまち歩き-東見初あたり

ホームセンターに用事があったので、ついでに半約束した東見初てくてく
買い物が終わって車に戻ったら雨
このチャンスを逃したら面倒臭いので、日照り用のキャップを雨除けにかぶって
痛風の発作が出て本当に迷ったけど強行です

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①地元の人はおなじみのフジグランです
ここが東見初炭鉱の抗口だったのです

現在の地図ではこんな感じ
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この写真は①番なのでここから撮影しましたよってことです

閉山前後の当時の地図(興産の配電図の下書き)を参照してください
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ちょっと東西ずれてますけど、フジグランのところに抗口があります
周りの社宅の配置は完全にやり直しで、フジグランは「大手町」「新生町」の一部に割り込んでいます
ホームセンターのダイキは、社宅「布町」「日ノ出町」の一部からなっています

撮影地点の現セブンイレブンには「プール」があったようです
現「大戸屋」の奥にホルモン「吉村」がありますが、昔からこの位置だったのでしょうか、、、閉山後も親父に連れられて「吉村」には行ったのですが、
誰もいなくなった東見初の風景は「谷内六郎」のさみしい絵のようでした


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②懐かしい様な気がしたけど、多分通ってない


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③西覚寺、記憶にありません、某ユニクロのYさんが2億5千万円寄付したのがよくわかる立派なお寺です
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④左角の鮮魚店はばあちゃんと来た覚えがある(今は営業されていないと聞きました)
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炭鉱があった頃はにぎやかだった岬通り


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⑤幼少の頃この辺に暮らしていましたが、道の先が行き止まりになっている
この先にも炭鉱の社宅が少しあって、グランドにたどり着いてたんだけど、、、

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⑥反対側を見ると、あの細い道の手前に「来来軒」というラーメン屋があった記憶がある
左の更地には小料理屋があって、そこの娘(私からするとおねいさん)に遊んでもらっていた記憶もある


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⑦岬通りに一旦出て、宝くじの元締めの前の果物屋だった所から、東見初病院があったと思われる方面を望む

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⑧ノーコメント
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⑨コメントができない

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⑩う~ん 炭鉱の風呂場があった辺りでしょうか
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⑪わかりませんが、西松屋が准看養成所の跡、ヤマダ電機が宇部鉱業所事務所の跡と踏んだ
間に神社があったはず
当然この道の幅員は倍以上に拡幅されています


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⑫河村事務所の前の広場が昔のグランドみたいな顔をしているが、私はだまされない

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⑬河村事務所と西覚寺が背中合わせだったことに気づく

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地図上に番号振っていなかった
フットサル場があるのか、スイミングクラブの跡地? その他、しまむら、ブックオフがあるのは知らなかった
こんな田舎に進出するとブランドが腐るど
フットサル場は子ども達が元気に練習していました、日本代表は関係ないです


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⑭しまむらの脇からパークレーンにアプローチ出来るのは素敵な気がします

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⑮戻ってきました、雨が降り出して20分強のてくてくでした
今回はざっくりでしたが、社宅関係等、、、あまり需要がないと思われますが、、、秋頃とか
吉村ホルモンの位置も気になるし、いろいろ   つづく



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by ubeon | 2015-07-11 23:55 | 宇部 | Comments(2)
Commented by 星州李氏 at 2016-02-09 10:14 x
初めまして宜しく。
戦後間も無くこの近くで生まれ幼稚園の頃まで昭和町の線路が家の前に有る炭住だと思います家に住んでいまして戦時は東見初炭鉱で戦後は線路の処で古鉄屋を父がして居ました。写真に当時の炭住の様な家の写真が有り驚きました。
当時の事を知りたく思います。宜しくお願い致します。
Commented by ubeon at 2016-02-11 21:37
初めまして星州李氏さん

私は未就学時に大正町(現昭和町)のおばあちゃんの家にいたことがある程度で、くわしいことはわかりません
子供の頃に感じた賑やかさや街のにおいが懐かしく、久々に訪れてみたのですが、
あまりにも変わりすぎて、一部を除いて記憶の巻き戻しができない状態です

時代は東京オリンピックか山口国体で盛り上がった頃だと思いますが、
玄関を出ると、目の前が小料理屋で、そこの娘のまきちゃんに遊んでもらった記憶があります
右の岬通り側に来来軒っていうラーメン屋があった(食べたことはありません)
左に行くと、東見初炭鉱の社宅があって、さらに行くと木製の垣根があって、それ以上進めないと思いきや
子供が開けたと思われる穴があって、それをくぐるとグラウンドが広がります
右側が炭鉱の病院、正面が宇部鉱業所の事務所、グラウンドの左側に防空壕の入口跡
吉村のとんちゃん屋の位置関係が今はわからなくなっています

写真にあった朽ち果てそうな建物が炭住だったのかどうかはわかりません
なにかエピソードが等あれば、教えていただければ幸いです


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